【結論】渋谷莉孔の現在は?引退説の真相と今後の活動
2024年現在、引退はしておらずハワイを拠点に現役を続行中
総合格闘家の渋谷莉孔(しぶや りく)さんについて、「現在は何をしているのか?」「引退してしまったのか?」といった疑問を持つ方が多くいます。結論からお伝えすると、渋谷莉孔さんは2024年現在も引退しておらず、現役の格闘家として活動を続けています。
現在の主な活動拠点はアメリカのハワイで、名門ジム「グレイシー・テクニクス・ホノルル」に所属しています。ハワイやアリゾナ州などで日々の厳しいトレーニングに励んでおり、再び世界の舞台で戦うための準備を続けている状況です。
2017年12月を最後に公式試合から遠ざかっているため、一部では引退説も囁かれましたが、本人の意志は明確に現役続行であり、その闘志の炎は消えていません。近年では格闘技イベント「BreakingDown12」のオーディションにサプライズ登場し、健在ぶりをアピールしたことで再び大きな注目を集めました。
長いブランクはありますが、渋谷莉孔さんの格闘家としてのキャリアは今も続いており、今後の動向から目が離せない存在です。
なぜ6年以上も試合をしていない?試合が決まらない理由とは
渋谷莉孔さんが2017年12月の試合を最後に、なぜ6年以上もの長い期間、リングから遠ざかっているのか、その理由について多くのファンが関心を寄せています。その背景にはいくつかの事情が重なっています。
もともと渋谷莉孔さんは、アジア最大規模の総合格闘技団体「ONE Championship」を主戦場としていました。しかし、ある決起大会に参加した際に、選手同士が馴れ合い、仲良しこよしの雰囲気になっていることに強い嫌悪感を抱いたそうです。
自身のストイックな格闘技観とは相容れない環境だと感じた渋谷莉孔さんは、それ以降、ONE Championshipの試合に出場しなくなりました。その後、アメリカの団体「Fury FC」で試合が組まれる話もありましたが、これも最終的には流れてしまいました。
つまり、引退や意欲の低下が理由ではなく、純粋に自身の信念に合う試合の機会に恵まれなかったことが、長期ブランクの主な原因と言えます。格闘家として戦う意志は常に持ち続けていたものの、様々な要因が絡み合い、結果として試合が決まらない期間が続いてしまったのです。
BreakingDown12登場後の反響と今後の試合予定
長い沈黙を破り、渋谷莉孔さんが再び格闘技ファンの前に姿を現したのが、格闘技イベント「BreakingDown12」のオーディションでした。
「アウトローのカリスマ」として知られる瓜田純士さんの推薦という形でサプライズ登場した渋谷莉孔さんは、審査員席に座る朝倉海さんに対し、「アメリカで試合決まらなくて、俺、格闘技しかないから。最後に1分でも5分でもいいからやらせてくれないかな?」と、かつて勝利した相手への敬意と自身の現状を率直に伝え、対戦を要求しました。
この予期せぬ出来事は大きな話題となり、往年のファンを歓喜させると同時に、若い世代の格闘技ファンにも「渋谷莉孔」という存在を強烈に印象付けました。結果的に、朝倉海さん側の契約の都合などから試合は実現しませんでしたが、この登場をきっかけに、渋谷莉孔さんの現在の活動や今後の動向に対する注目度は一気に高まりました。
現時点で具体的な試合予定は発表されていませんが、本人は試合への渇望を隠しておらず、このブレイキングダウンへの登場が、新たな戦いの舞台へ繋がる大きな一歩となったことは間違いないでしょう。
UFC挑戦は実現する?本人の意気込みと今後の展望
渋谷莉孔さんが見据える最終的な目標は、世界最高峰の舞台である「UFC(Ultimate Fighting Championship)」との契約です。BreakingDown12のオーディションの場でも、渋谷莉孔さんは「最年長で(UFCと)契約してやろうと思ってます」と力強く宣言しており、その目標が揺らいでいないことを明確に示しました。
現在39歳という年齢は、格闘家としてはベテランの域に入りますが、本人の意気込みは非常に高く、年齢をものともしない挑戦意欲を持っています。ハワイやアリゾナで世界の強豪たちとトレーニングを積んでいるのも、すべてはこのUFC挑戦という大きな目標を達成するためです。
朝倉海さんが「本当に強い選手」「リベンジがしたくて追いかけていた」と語るほどの実力と、数々の激戦を乗り越えてきた経験を持つ渋谷莉孔さんだけに、その言葉には重みがあります。
試合勘のブランクという課題はありますが、もし試合の機会さえ得られれば、世界を驚かせる可能性を秘めたファイターであることは間違いありません。渋谷莉孔さんのUFCへの挑戦が実現するのか、今後の活動から目が離せません。
渋谷莉孔が両目を失明した原因と現在の視力
失明の危機に陥ったのはいつ?原因となった試合を解説
渋谷莉孔さんのキャリアを語る上で避けて通れないのが、両目を失明しかけたという衝撃的な出来事です。この悲劇が起きたのは、2016年1月23日に中国・湖南省長沙市で開催された「ONE WUJIE〜DYNASTY OF CHAMPIONS」という大会でした。
この日、渋谷莉孔さんはフィリピン出身のロイ・ドリゲスさんと対戦し、3-0の判定で見事に勝利を収めています。しかし、この試合中に受けたある反則行為が、後に彼の視力を奪う原因となりました。
試合直後はアドレナリンが出ていたこともあり、目の異常に気づかなかった渋谷莉孔さんですが、徐々に視界に異変を感じ始めます。この試合での勝利の代償は、彼の格闘家人生を根底から揺るがすほど、あまりにも大きなものでした。
反則行為「サミング」とは?網膜剥離に至った経緯
渋谷莉孔さんが試合中に受けた反則行為は「サミング」と呼ばれるものです。サミングとは、指で相手の目を突いてしまう行為のことで、最近では「アイポーク」とも呼ばれます。
特に、総合格闘技で使われるオープンフィンガーグローブは指先が出ているため、意図せずともサミングが発生しやすいとされています。ロイ・ドリゲスさんとの試合中、どのタイミングで決定的な一撃を受けたのかは映像でも判別が難しいほどですが、このサミングによって渋谷莉孔さんの眼球は深刻なダメージを受けました。
試合後、当初は軽い違和感程度だったものの、時間が経つにつれて視界に黒い虫のようなものが飛んで見える「飛蚊症」のような症状が現れ始めました。そして、最終的に眼球内の網膜が剥がれてしまう「網膜剥離」という重篤な状態に陥ってしまったのです。
「今日中に失明する」宣告後の手術と過酷なリハビリ
試合から約1ヶ月が経過した2016年2月下旬、滞在先のハワイで目の異常が深刻化したため、渋谷莉孔さんは現地の病院で診察を受けました。そこで医師から告げられたのは、「今日中に失明する」という、あまりにも残酷な宣告でした。
すぐさま緊急帰国した渋谷莉孔さんは、都内の病院で両目とも網膜剥離であると診断され、即座に手術を受けることになります。手術は一度では終わらず、両目合わせて3回もの大手術が必要となりました。
さらに、その後には両目の白内障水晶体切除手術も受けています。一時は視力をほとんど失い、自身のTwitterで引退を示唆するほど絶望的な状況に追い込まれました。しかし、仲間たちからの温かい励ましを受け、「治れば続けたい」と現役続行への強い意志を取り戻します。
そこからは、視力がほとんど見えない状態での過酷なリハビリとトレーニングの日々が始まりました。
現在の視力は?完治はしているのか
複数回の手術と懸命なリハビリを経て、渋谷莉孔さんは奇跡的にリングへ復帰します。復帰第2戦となった2017年12月の試合後、自身の口から視力の状態について語られました。
その時点での視力は、片目が0.2、もう片方の目が0.02程度まで回復しているとのことでした。この数字は、日常生活にも支障をきたすほどの状態であり、完治には程遠いことを示しています。
格闘家にとって視力は生命線であり、このハンデを背負いながらトップレベルで戦うことがいかに困難であるかは想像に難くありません。それ以降、渋谷莉孔さんの視力に関する最新の公式な情報はありませんが、完治はしておらず、現在も視力に問題を抱えながらトレーニングを続けていると推測されます。
失明の危機を乗り越え、今なお戦い続ける渋谷莉孔さんの精神力は、まさに超人的と言えるでしょう。
渋谷莉孔の輝かしい戦績と経歴|「リアル刃牙」の伝説
渋谷莉孔の全戦績とプロフィールをwiki風に紹介
渋谷莉孔さんは、1985年4月4日生まれの39歳(2024年6月時点)、北海道出身の日本の総合格闘家です。身長は170cm、階級はフライ級やストロー級で戦ってきました。所属は「和術慧舟會HEARTS」を経て、現在はハワイの「グレイシー・テクニクス・ホノルル」に身を置いています。
彼の経歴は非常にユニークで、高校時代は喧嘩に明け暮れる日々を送り、中退後はアダルトビデオメーカーである「プレステージ」に就職したという異色の過去を持ちます。
知人の紹介で格闘技の世界に足を踏み入れ、その才能を一気に開花させました。プロとしての総合格闘技の戦績は9戦7勝2敗と高い勝率を誇り、その実力は国内外で高く評価されています。
特に、元ルンピニー・スタジアム認定3階級王者であるデェダムロン・ソー・アミュアイシルチョークさんから一本勝ちを収めるなど、数々の強豪を打ち破ってきました。その壮絶なキャリアと確かな実力で、多くのファンを魅了し続けています。
「THE OUTSIDER」時代の活躍と前田日明からの高評価
渋谷莉孔さんの名を世に知らしめた原点が、リングス・前田日明さんがプロデュースするアマチュア総合格闘技大会「THE OUTSIDER」です。2008年10月、23歳でデビューした渋谷莉孔さんは、試合中に奇声を発しながら相手に殴りかかるという常軌を逸したファイトスタイルで観客の度肝を抜き、鮮烈なKO勝ちを収めました。
そのあまりにも過激で予測不能な戦いぶりから、人気格闘漫画の主人公になぞらえて「リアル刃牙」という異名がつけられました。この衝撃的なデビュー戦について、大会主催者である前田日明さんは「溶鉱炉のふちにあるダイヤモンドの原石」と、その荒々しさの中に光る非凡な才能を絶賛しました。
また、レフェリーを務めた平直行さんも「素質があるゆえに工芸品のように繊細なもろさがある」と評するなど、多くの関係者が渋谷莉孔さんの持つポテンシャルに注目しました。THE OUTSIDERは渋谷莉孔さんにとって、その後の輝かしいキャリアの礎を築いた重要な舞台となったのです。
【伝説の一戦】無敗時代の朝倉海に勝利した試合内容とは?
渋谷莉孔さんのキャリアの中でも特に伝説として語り継がれているのが、後のRIZINバンタム級チャンピオン、朝倉海さんとの一戦です。この試合は、2013年4月21日に開催された「THE OUTSIDER 第25戦」で行われました。
当時、朝倉海さんは19歳の新進気鋭の若手であり、無敗の快進撃を続けていました。一方の渋谷莉孔さんは26歳、すでにアウトサイダーで確固たる地位を築いていました。試合は序盤から激しい打撃戦となり、1ラウンドには渋谷莉孔さんがテイクダウンを奪われる場面もありましたが、巧みに脱出します。
勝負の分かれ目となったのは2ラウンド。渋谷莉孔さんがテイクダウンを奪い返すと、そこからチョークスリーパーを狙い、さらにパウンドの連打で朝倉海さんを追い込みます。最終的に試合は判定にもつれ込み、3-0のフルマークで渋谷莉孔さんが完勝しました。
この勝利は、朝倉海さんにプロキャリアで初めての黒星をつけた歴史的な一戦として、今なお多くのファンの記憶に刻まれています。朝倉海さん自身も、後に渋谷莉孔さんを「リベンジしたい相手」として名前を挙げるなど、この敗戦が彼の成長の糧となったことは間違いありません。
アジアの舞台「ONE Championship」での戦績と活躍
THE OUTSIDERで名を上げた渋谷莉孔さんは、2015年にアジア最大規模の総合格闘技団体「ONE Championship」へと戦いの舞台を移します。驚くべきことに、その初戦でいきなり世界フライ級王者アドリアーノ・モラエスさんへのタイトルマッチに抜擢されました。
結果は判定負けで王座獲得はなりませんでしたが、デビュー戦でタイトルに挑戦したこと自体が、彼の評価の高さを物語っています。その後、ユージーン・トケーロさん、ロイ・ドリゲスさんを相手に2連勝を飾り、ONEのトップ戦線に食い込んでいきました。
しかし、前述の通り、ロイ・ドリゲスさんとの試合で両目網膜剥離という大怪我を負い、長期離脱を余儀なくされます。約1年半の治療とリハビリを経てリングに復帰。
復帰戦は敗れたものの、その次の試合では元ストロー級王者デェダムロン・ソー・アミュアイシルチョークさんを相手に、鮮やかなギロチンチョークで一本勝ちを収めるという劇的な復活劇を見せました。
失明の危機というどん底から這い上がり、王座経験者を破ったこの勝利は、渋谷莉孔さんの不屈の精神力を象徴する一戦として、高く評価されています。
渋谷莉孔の人間関係|瓜田純士やシモミシュランとの繋がり
瓜田純士との関係は?地元・新宿での意外な接点
渋谷莉孔さんがBreakingDown12に登場した際、その推薦人となったのが「アウトローのカリスマ」瓜田純士さんでした。一見すると接点がなさそうな二人ですが、実は深い繋がりがあります。
渋谷莉孔さんはプロフィール上の出身地は北海道ですが、インタビューで中学時代は東京の新宿大久保で過ごしたと語っています。一方、瓜田純士さんも新宿を地元とする人物として広く知られています。
年代こそ違いますが、二人は同じ新宿という地域で育った「同郷」ということになります。瓜田純士さんは自身のYouTubeチャンネルで渋谷莉孔さんを登場させるなど、以前から親交があったようです。
特に10代の頃の新宿は、不良の世界が非常に狭いコミュニティであったとされ、当時からお互いの存在を認識していた可能性は高いでしょう。長い間ハワイに拠点を移していた渋谷莉孔さんが日本で再び活動するにあたり、旧知の仲である瓜田純士さんがサポート役を買って出た、というのが二人の関係性のようです。
シモミシュランとハワイで共同生活?その真相を解説
渋谷莉孔さんとの関係が噂されるもう一人の格闘家が、BreakingDownなどでも活躍するシモミシュランこと下川晃毅さんです。二人の接点は、渋谷莉孔さんが拠点を移したハワイにあります。
結論から言うと、二人はハワイで一時期、同じ寮で生活を共にしていました。この事実から親密な関係が想像されますが、二人がハワイに渡った目的はそれぞれ異なっていたようです。
シモミシュランさんは「KAKURYU HAWAIIスポンサーシッププログラム」の強化選手として選抜されてハワイに滞在していました。一方で渋谷莉孔さんは、自身のトレーニング環境を求めてハワイに拠点を移していました。
つまり、別々の目的でハワイに来た二人が、偶然にも同じ寮で生活することになり、そこで親交を深めたというのが真相のようです。格闘技に対するストイックな姿勢など、共通点の多い二人が異国の地で出会い、良きトレーニングパートナーとして、また友人として絆を深めていったと考えられます。


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